こんにちは!りおママです。
熱性痙攣… よく聞きますよね。
10人に1人は経験するという発熱に伴う痙攣です。
1歳7ヶ月の娘は初めて熱性痙攣を起こし、救急車で搬送されました。
実際なってみると本当に恐ろしく、痙攣が長く続いたので不安で溜まりませんでした。
その時の状況や反省点、入院中の経過などをまとめています。
実際の写真も出てきますので、苦手な方はご注意ください!
付き添い入院中、他の方の体験談を読んで落ち込んだりもしましたが、やはり色々なケースを知ることで心を落ち着けることができました。
初めての熱性痙攣
娘が保育園に通い出して1ヶ月くらい経った頃、GW中に風邪を貰ったみたいで鼻水と咳が続いていました。
しかし発熱は一度もなく、食欲もあって元気に1週間保育園に通うことが出来ました。
その日曜日、丁度母の日だったので実家に帰ることになりました。
同じ市内ですが、車で30分くらいの場所です。
夫は娘と同じ風邪で、熱はないものの体調が悪く別室で休んでいました。
午前中は、平日仕事で出来ていなかった家事(主に掃除)をバタバタとしていたので娘に構う時間が余りありませんでした。
しかし見ている分には、普段と変わらず元気な様子。
そして早めにお昼寝したのをいいことに、洗濯や出かける準備をしていました。
今思えば、この時ちゃんと娘と触れ合っていれば、熱があることに気付いていたと思います…
早めに寝たのはしんどかったからだったんですね。
わたしは全然気付いてあげられず… 昼頃実家に到着。
みんなでお昼ご飯を食べましたが、おかずは食べるものの主食はあまり食べませんでした。
イヤイヤ期が始まっていることもあり、この時も余り食べなかったことをさほど気にしませんでした。
13:45 発熱に気付く
気付いたのは昼ご飯を食べ終わって手洗い中。
抱き抱えた時に身体が熱かったんです。
しかし、この時もわたしは「室温が高いから熱いのかな?」なんて呑気に思っていました。
でも、その後少しして祖父が抱いた時に「あつ!」と。
おでこを触ると熱々になっていました。
ここでやっと気付いたんです。
反省しかありませんし、ここまで気付かず祖父に言われてやっと熱だと分かるなんて、母親としてどうなの… って感じですよね。
心のどこかで、“今熱を出されたら困るしきっと気のせいだ” と思い込もうとしていたのかもしれません。
ここでやっと、朝早く昼寝していたことや昼に食欲が無かった理由が繋がったわけです。
熱を測ると38.9度。高熱です。
氷枕に寝かせると、すぐに眠りにつきました。
早めに家に帰ってゆっくり寝かせたいけど、車で30分かかるのでとりあえず起きるまで待つことにしました。
40分くらい昼寝した娘はぼんやりと目を覚ましました。
まだ身体は熱々でしたが、夕方になると更に熱が上がるかもしれないし、家には解熱剤の坐薬もある。
なので車でささっと帰ろうか、でももう少し寝たら今よりは元気が出るかもしれないと、母と帰るタイミングを迷っていました。
でも娘に触れたとき、やけに鼓動が早いことに気付いたんです。
少し胸元に触れただけでドコドコドコと大きく、尋常じゃないくらい早く心臓が動いていて
いつも熱が高い時こんなだった…?と不安がよぎりました。
熱が高いと熱性痙攣の可能性があることは勿論知っていましたが、
わたしも夫も痙攣したことは無く、親族でなったことがあるのってわたしの弟だけだよね?とその時の弟の様子を母に聞いていたんです。 その時。
14:30 突然の痙攣
「ぐぅー」か「ひぃー」か、よく覚えていません。
娘が何か唸って突然エビ空りになったんです。
ぐぐぐっと力が入り、目は上天。
ビクンビクンと大きく痙攣が始まりました。
その時の顔が忘れられません。
わたしは半泣きになって名前を呼びました。
勿論その呼びかけに反応はなく、痙攣が続きます。
慌てて違う部屋にいた父を呼びに行った母に、「救急車呼んで!」と叫びました。
娘は弓ぞりになった勢いで自ら横向きになっていたので、母が救急車に電話したスマホを受け取りました。
↑痙攣時、嘔吐する可能性があるので窒息しないように横向きにした方がいいです。
救急ですか?消防ですか?
救急です!1歳半の娘が熱性痙攣を起こしています!
救急ね、住所は?
◯◯県△市の…
ブチ… っ ツー ツー
???
なんと、ここで電話が切れてしまったんです。
母のスマホの画面に、わたしの頬が当たって切れてしまったようです。(最悪…!!)
慌ててもう一度電話し、救急であることを伝えると、
あ、先程の熱性痙攣の方ですか?
そうです!
住所は◯◯県△市の◻︎-◻︎-◻︎です!
えーと、ちょっと待ってね… 何丁目?
消防の人はお爺さんの声でした。
何故か住所を伝えるのに時間がかかり、早く出動してくれ、と思いながらもゆっくり住所を伝えました。
娘さんが熱性痙攣で、今何歳ですか?
1歳半です!(さっき言いましたよね?)
痙攣始まってどのくらいですか?
もう5分は経ってます!早くきてくれませんか?
電話してる間も娘の痙攣は止まらず、気持ちは焦るばかりでした。
あー、今救急車出払ってるからねぇ。
出動要請はしますね。
はい、今しましたよー。
(出払ってる!?)何分くらいで着きますか?
15分か20分くらいはかかります
そんなにかかるんですか!?
まだ痙攣が止まらなくて… !
その後無言の時が流れ…(もしかしたら何かおっしゃったのかもしれませんが記憶にない。)
電話を切れば良いのか繋いだままなのか分からず、でも相手も何も言わないので切りました。
半泣きになりながら自分のスマホで娘の動画を撮ることに。
お父さんが保育士の妹に電話をかけ、名前を呼び続けるようにと言われたので名前を呼んでいました。
その後母のスマホに消防から折り返し連絡があり、大きな声で呼ばないようにと、身体をさすったりしないように指示がありました。
さっきのお爺さんとは違うもう少し若い人の声でした。
母は家の前で待っていましたが、全然来ないとのことで父と交代。
娘の痙攣はやっと治ってきたかと思ったら、次は両手足をぐーっと突っ張っていました。
硬直しているようでよだれが垂れています。目もおかしい。
わたしは動画を撮ったまま、静かに名前を呼んだり「大丈夫だからね」と声をかけていました
まだかまだかと待つことなんと20分以上。…やっと救急車の音が聞こえてきました。
15:00 救急車到着
救急隊の人に抱っこで来れるなら出てきてと言われて、娘を抱っこして急いで外の救急車へ。
娘をベッドに寝かせてバイタルや意識レベルを測定されました。
救急隊の1人が搬送先に電話してくれているようですが、これがまたまた長い。
娘はまだ両手足を突っ張ったままです。
硬直している状態を痙攣に含むのかは分かりませんでしたが、とにかく長くなればなるほど、後遺症のリスクが上がることを知っていたわたしは半泣きでした。
まだ行かないんですか?
今受け入れ先を探してますからね。
側で娘の状態を診てくれている救急隊員の方は優しくそう言ってくれたものの、もう1人バイタルなどを書き込んでいた救急退院の方には緊張感がなく、それもわたしの気持ちを焦らせました。
娘に酸素マスクがつけられて、やっとのことで救急車が出発。
15:10 病院に向けて出発
10分くらい経って、ようやく出発。
Uターンするのに大きく回り道をされて、地元のわたしからすればここをこう回ればもっと速いのに…なんて思いました。
しかしその後はサイレンと共に車体が大きく揺れ、娘の痙攣も治ってきました。
硬直が解けて脱力している娘に、救急隊員さんと一緒にひたすら声を掛けていました。
車体が余りに揺れるので驚いていると、「急いでもらってるので揺れます」とのこと。
それでも普通に走っている車を追い抜いていく訳ですから、事故しないように救急車もゆっくり走る場所がいくつかあります。
中にはアナウンスしないと中々退いてくれない車もいて、「お願いだから早く退いて…!」と心の中で叫びました。
途中から泣き始めた娘に、「泣いてくれた方がひとまず安心です」と救急隊員さんが教えてくれました。
15:30 病院に到着
わたしの実家はそこまで田舎な訳ではありませんが、市の外れにあるからか病院まで遠かったです。
もっと近くにある病院もあるけど、運ばれたのはNICUもあり、わたし達の住んでいる家からも近い総合医療センターでした。
この時点で、結局痙攣が始まってから1時間経っています。(そんなことある…?)
病院に着くとすぐに先生が診てくれて、点滴が繋がれ、採血をし、痙攣の様子を聞かれました。
娘は一度目を開いて泣き始めたものの、呼びかけてもわたしの方を見てくれませんでした。
ぼーっと、でも驚いたような、おびえるような表情で天井を見ているようでした。
抱っこすると泣き止んで、また眠ってしまいました。
まだまだ身体が熱々の娘は、私の腕の中でも何度かピクピクッと足が動いて不安に思いました。
先生や看護師にも伝えましたが、それはシバリング(熱が高いことによる震え)で痙攣とは違うだろうと言われました。
シバリングって小刻みに震えるものだと思っていましたが、この時の大きめの震えもシバリングだったみたいです…
夫と父も到着し、娘が次に目を覚ました時にはやっとわたしと目が合いました。
娘は泣いていましたが、わたしやパパを見て、じぃじやばぁばの声にも反応はしていたので、意識レベルはひとまず元に戻った気がしました。
家族揃って医師に以下のような説明を受けました。
- 今回の痙攣は30分以上続いており、熱性痙攣の中でも “複雑型” に分類されること。
- 急性脳症の可能性があり、1週間経過観察を要するので入院になること。
- 1回目の痙攣から4〜7日後にもう一度痙攣を起こすことがあり、その場合は後遺症が残る可能性が高いこと。
“後遺症” という言葉にガンッと頭を殴られたようでした。
痙攣が長かったのでそう言われることを予想はしていましたが、いざハッキリと言われてしまうと、どこか他人事に思っていたSNSの情報がぐるぐると頭の中を巡りました。
どうして熱があると家を出る前に気付いてあげられなかったのか、
どうして救急車が中々来なかったのか、
大丈夫な可能性はどのくらいあるのか、
…そんなことを考えている間にCTに呼ばれ、脳のCTを撮ってもらいました。
その後脳波を取る為頭に電極をつけ、取れないように包帯でぐるぐる巻きにされました。
18時まで病室が空かないということで、夫と交代しながら娘を抱っこして待ちました。
娘は時々目を覚まして泣き、また眠るというのを繰り返していました。
解熱剤の点滴のおかげで、熱は段々下がっていくのが触れる体温で分かりました。
18:00 入院
しばらく待ってやっと病室へ。
感染対策の為付き添いは1人まで。
夫は入院に必要な荷物を取りに自宅へ戻りました。
娘はだいぶ落ち着いたようで、病室のベッドの上にちょこんと座っていました。
元気はないものの、夫が持ってきたごはんとレトルトのおかずを少しだけ食べてくれました。
いつも寝る時の絵本を読むと、眠りました。
消灯時間を過ぎていましたが、かなり汗をかいていたわたしは身体だけサッとシャワーを浴びさせてもらえました。
娘のベッドに横になり、寝てる間もピクピクする娘を不安に思いながら、娘が動く度に目を覚ましながら朝を迎えました。
2日目の朝
5時か6時頃目を覚ました娘はぐるぐる巻きにされた頭を嫌がっていました。
宥めながら過ごし、8時頃脳波の電極を取ってもらいました。
一晩計測したデータに異常がないか先生が確認するということで、このまま娘は運ばれてきた朝ごはんを食べました。
熱で多少ぐったりはしているものの、反応はいつも通りに見えました。
結果、とりあえず脳波に異常はなし。
今のところ気になる所見は見られないけど、痙攣重積型(二層性)急性脳症というのは1度目の痙攣が起こってから4〜7日目に再度痙攣が起こり、そのまま意識障害が残るというもの。
まだまだ安心は出来ないということで、もう一度痙攣が出ないことを祈るばかりでした。
続く高熱
解熱剤を点滴投与してもらえば一旦熱は下がるものの、解熱の効果が切れる頃にはすぐにまた39度以上の高熱に。
そんな状態がなんと木曜日まで続きました。(入院は日曜日)
ちなみに血液検査は何度してもウイルス性の発熱。
アデノでもなくRSでもなく、ただの風邪という診断でした。
朝〜昼は解熱剤無しで下がっていても、夜になると再度高熱。
高熱であるほど痙攣の可能性も上がるので、気が気じゃありませんでした。
わたしはどこでも寝れるタイプなので、付き添い入院中に狭いスペースで寝ることは問題なかったものの、娘がピクリと動く度に、痙攣が起こったのかと飛び起きました。
汗びっしょりで辛そうな娘を前に、わたしの心労は増すばかりでした。
ネットで検索すれば、後遺症として意識障害、運動麻痺、知能の遅れ、てんかんなど、様々な怖い情報が書かれていて、考えれば考えるほど涙が出ました。
先生に大丈夫な可能性を聞いても、「何割の人は大丈夫か、そういう数字は分からないんです。」と言われてしまいました。
“元気な状態(熱はあるけど)の娘に会えるのは今が最後かもしれない”
そう思うたびに自分も追い詰められていくのが分かりました。
夫にラインすると、「悪い方へ考えるな、決め付けるな」といった答えが返ってきました。
水曜日の午後は夫が仕事を休んで交代してくれました。
わたしはユニクロへ娘とわたしの部屋着(病院で着る服)を買い足しに行った後自宅で休もうと思っていたのですが、“今娘に痙攣が起こったらどうしよう” と不安に駆られ、運転しながら泣いていました。
そのことを夫にラインすると、“2度目の痙攣が起こる場合、1度目の痙攣以降も意識がはっきりしない場合が多い” というデータを見つけてくれました。
娘は1度目の痙攣後すぐに意識がはっきりし、熱はあるものの元気です。
それで初めて、ほんの少し安心ができました。
金曜日(痙攣から6日目)
木曜日の夜に入れた解熱剤を最後に、金曜日は熱が下がっていました。
脳のMRIを撮ってもらうことになり、鎮静剤を入れるのでそれまで昼寝しないように起こしておいて欲しいとのことでした。
痙攣が起きなくても、MRIで脳を見れば悪い部分が見つかるかもしれない。
逆にMRIが大丈夫なら大方安心していいとのことで、ドキドキしながらその時を待ちました。
MRIは夕方だったので、昼寝してない娘は今にも寝そうな状態で検査室へ。
↑小さな子供に、眠くない状態から眠るほどの鎮静剤(ミタゾラム)を入れることは出来ないので、眠い状態を保ってほしいということでした。
初めて見るMRIの暗い検査室にキョロキョロしていた娘でしたが、先生が鎮静剤を投与した途端目がとろんと閉じて脱力。すぐに眠ってしまいました。
MRIの検査時間は20〜30分。わたしは待合室で検査が終わるのを待っていました。
呼ばれたのは検査から40分くらい経った後でした。
酸素マスクを付けられた娘は眠っていて、先生と看護師がバイタルを見ているところでした。
「抱っこしてください」そう言われて抱き抱えようとすると、ガクンッと娘の頭が後ろへ落ちました。
もう一度気を付けて抱き抱えようとしたつもりでしたが、またしてもガクンッと頭が後ろへ倒れてしまい… ビビりました。
普段眠っている状態とは全然違って、首座り前の赤ちゃんのようでした。
勿論わたしが悪いのですが、隣の看護師さんも前もって言ってくれたらいいのになぁと思いながら慎重に横抱きに。(いつもの癖で縦抱きしようとしてました)
先生から「一度検査中に起きてしまったので、もう一度鎮静剤を足しました。」と説明が。予定より時間がかかったのはその為だったんですね。
検査室を出ると看護師さんがベッドで迎えにきてくれていたので、娘を優しくベッドに下ろしました。
鎮静剤のリスク、注意点などは事前に渡されたプリントを読んで理解していましたが、いざ酸素マスクをして完全に脱力した娘を見ると不安になりました。
1時間くらい眠って、咳き込んで起きた娘。
力が入らないことに気付き、泣き始めました。
無理に動こうとするも身体がグデングデンなので転んでベッド柵に頭を打ちそうで、慌ててわたしもベッドに上がり、ベッド柵を完全に上げて転落防止を徹底し、娘を宥めました。
目もとろんとしていて、意識障害や麻痺があるとこんな状態なのだろうとまたしても怖くなりました。
再び小一時間眠った娘が目を覚ました時には、さっきよりは幾分マシに見えました。
お茶も飲むことができ、身体が倒れないように布団やクッションで背もたれを作って遅めの夕食を食べさせました。
徐々に覚醒したようで、食べ終わる頃にはしっかりした顔付きになり、立つことも出来ていました。
MRI の結果は…
先生は鎮静で娘が眠っている間に部屋に来て、「説明するので来て頂けますか?」と。
大丈夫ならこの場で「大丈夫」と言ってくれるだろうと思っていたわたしは、何か異常が見つかったのかと不安に思いながら小さな個室に着いて行きました。
パソコンで脳画像を開いた先生が一言。
「大丈夫でした。綺麗な脳です。」
その言葉を聞いた途端、ほぉ、と全身の力が抜けました。
先生からの「大丈夫」という言葉を心待ちにしていたんです。ずっと今まで言ってくれなかったから。
やはり悪くなる可能性がある以上、「大丈夫」なんて簡単には言えないですよね、だからこそ、先生の「大丈夫」には心から安心できました。
先生が脳画像を追って説明してくれました。
わたしも医療従事者なのである程度は分かりましたが、今回の入院で医療従事者であることは最後まで口にしませんでした。
医療従事者だから分かるよね、と医師や看護師から説明されない部分があったら困ると思ったからです。
今回の病状についても丁寧に説明して頂き、一安心。
ただ、一度目の痙攣時間が長かったので娘には「痙攣重積・複雑型熱性けいれん」という診断名が付きました。
一度目の痙攣が長い場合、二度目の痙攣も長くなる可能性が高いそうです。
また長い痙攣が起きたら、また今回のように入院して不安な状態で過ごさなければなりません。
先生からは ダイアップ という痙攣止めの坐薬を処方されました。
熱性痙攣は熱が急激に上がる時になりやすく、38.0°以上熱が出た時点で入れるよう指示がありました。
これで一安心!と思いきや…
保育園に検査の結果を報告し、ダイアップ坐薬を処方された旨を報告しました。
電話口での先生の答えは
ダイアップはお断りしてるんです。
…. え!?!?
ダイアップを預かってもらえないと、また熱性痙攣になるリスクが上がってしまうのでは…
保育園で熱が出て、なるべく早くお迎えに行ったとしてもそれより熱が上がるのが早ければ、痙攣を起こしてしまうかもしれません。
看護師さんも在中している認可保育園なのでまさか断られると思っていなかったわたしは、一瞬頭が真っ白になりました…
今回は長くなってしまったので、保育園でダイアップ坐薬を承認してもらうまでの道のりについては別記事にしたいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
誰かの安心や心構えに繋がれば嬉しいです!
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